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デス・ストランディング

コナミ騒動の後「小島秀夫」がゲーム業界から離れ映画、小説など別分野に行ってしますのではないかとゲームファンであれば誰もが彼の行動に注目していたと思う。

それほど世界のゲームファンに愛されているかは、戦争、内戦と現実的でありながらSF的要素も垣間見える物語。それに込められた意味を考察し感動、感銘を受けるメッセージが込められ『メタルギア シリーズ』、『スナッチャー』『ポリスノーツ』数々の名作を世に出したからだ。彼の作家性に素人には到底太刀打ちできない膨大な知識量は映画界や別業界に行っても才能を発揮するに違いない。どんな業界に行っても、もう一度私達を楽しませてくれる作品を創り上げてくれると思っていたが、私達を喜ばせるために小島秀夫はまたゲーム業界に戻ってきてくれた。騒動がありながら2016年に完全新規タイトルが発表され、三年の月日が経ち完成したのが『デス・ストランディング』だ。

ゲームは時代によって姿を変えてきた「体験」からスマホの筆頭で「暇つぶし」に変わり。無料と偽り課金というカラクリで騙され、期間限定やプレイヤーの自尊心を煽り搾取される娯楽に変わった。とてもゲームとは呼びたくないクオリティーが殆どだ。

「デス・ストランディング」は売上至上主義からは決して生まれない作品で一定の人には理解されなくても、突き抜けたものを作りたい。攻めた作品をAAAタイトルで挑戦するその姿勢にリスペクトを送りたい。

 

数時間プレイしてみた感想を書きなぐってく。 

新しいものに挑戦し続ける姿勢は『デス・ストランディング』でも変わらない。

「デス・ストランディング」の新しい挑戦とは。ゲームプレイの心臓となっているバランスをとりながら操作する移動だ。バランスを崩せば転落し、崩さぬように姿勢を制御する。本来ゲームでは移動することは面倒で退屈であり多くのゲームで「ファストトラベル」「自動移動」が用意されているほどだ。プレイヤーの邪魔になり、その苦痛な要素をゲームのギミックにし「デス・ストランディング」は「移動」を再定義させ「移動」の概念を覆し「移動」というものを如何に楽しませれるかに挑んでいる。「移動」に関しては今の所楽しくプレイ出来ているが後半までこの面白さが継続させれるのかはわからない。見渡す限り壮大な自然を肌で感じながら広大な映像美を俯瞰し、途中で諦めてしまっては頂上の景色は見えない。時間をかけ登攀、頂上に登ったからこそ感じるカタルシスをプレイヤーに与え達成感を味合わせる。この地道な山登りのように感じさせる地味なシステムに賛否を別ける部分でもある。

本作の重要な「繋がり」他の誰かが設置した梯子、クライミングロープなどが自身のゲームプレイにも反映され手付かずの未開の土地をプレイヤーは自分達の手で生活の基盤となるインフラ整備をゲーム内で充実させていく。TwitterFacebookなど現代社会は誰とでも簡単に繋がることができる。簡単だからこそ相手の気持ちを考えず、コミュニケーションという行為に疲弊し想像力の欠陥につながる。どういう意図で梯子やロープを設置したのかを想像し見ず知らずの誰かの存在を感じることができる。自分自身が置いたアイテムたちも同じように想像され、オンラインとシングルプレイの中間、ワンクッション置かれたコミュニケーションがとても気軽でいて「デス・ストランディング」に用意されたアイテムは想像力を湧きあがらせる面白いギミックになっている。手付かずの険しい自然を前にするインフラ整備、物資を届ける配達シュミレーションに想像力などに楽しさを見出せるかどうかで評価は変わる。

 

私が思う映画的なゲームと小島秀夫が描く映画的なゲーム。

小島秀夫自ら公言する「僕の体の70%は映画でできている」という言葉。

私が思うに小島秀夫という人物は映画を崇拝するあまり映画に囚われているようにも思える。ゲームは物語が良くてもゲームとして面白くなければならない。ふたつの要素を成功させなければ成らず難しく難易度が高い。「MGS4」のようにデス・ストランディングは数時間プレイしただけだけどカットシーン、ムービーシーンがとても多い。ゲームをプレイしたくて買っているのに映像を長々と観させられる時間に費やされる。物語が面白いつまらない抜きに「ゲームじゃなく小説や映画でいいんじゃないか?」と思わさせてしまう。名作映画といわれる映画はメッセージ性に優れ人々の心を射抜き掴んできた。小島秀夫が描くゲームはこのメッセージ性が優れ「MGS3」は「母性」のメッセージに「デス・ストランディング」は「繋がり」というメッセージに重心を置き映像を中心に物語が進み演出はとても映画的だ。

私が思う映画的なゲームとは『アンチャーテッド シリーズ』が一番映画的であり映画のアクションを追体験させてくれる作品は他にはないアンチャーテッドの映画的は映画でいう「マッドマックス 怒りのデスロード」「ゼロ・グラビティ」メッセージ性よりではなく体験型の娯楽作品。午後ロー、金曜ロードショーで見たことあるような定番キャラクター達が大迫力アクションの演出、謎解きに大冒険。操作中はどの場面を切り取っても映画のワンシーンのように感じるほどだ。ゲームをプレイしながらアクション映画の世界に入り込んでいる錯覚に陥る。ゲーム歴は長く様々なゲームをプレイしてきたと思うがアンチャーテッド以上にプレイする映画は私は知らない。

 

「見えてる場所には全て行くことができる」プレイ紹介動画で紹介されていた。

それなら空に見える月にも行けるのか?と期待を膨らませプレイヤーは様々な考察をしていると思う。

アメリカを舞台にしたゲームだがプレイしている最中は緑や川が流れているのに月面を探索してるように感じた。登場する乗り物は宇宙開発やSF作品で何処か見たことあるような。あることが起こると大地にクレーターが出現する。不思議と月を想像してしまうのは僕だけでしょうか。小島秀夫を知るほど小島秀夫にとってSF、宇宙は切っても切れない関係にある。宇宙空間で生存するには宇宙服はなくてはならな物であり。酸素の供給と二酸化炭素の除去を行う生命維持装置がなくては宇宙空間という生と死が隣り合わせの過酷な環境で生死に関わる重要な物を背中に背負っている。

人類が分断された世界を再び繋ぎなおすため「サム・ポーター・ブリッジズ」運ぶ物資も人類の生死に関わる物であり。物資の運搬中に“BT”という幽霊のような存在がプレイヤーの行く手を阻む。あの世と繋がっているBB(赤ん坊)と繋がることで見えるようになるBTが出現することで生と死が隣り合わせになる。サム・ポーター・ブリッシズ服装は小島秀夫が崇拝するSF映画の金字塔『2001年宇宙の旅』に登場した宇宙服のデザイン、配色の使い方に赤ん坊は意図してるのか偶然なのか。

「デス・ストランディング」はレビューサイトの評価は賛否両論で『2001年宇宙の旅』と同様に名作派と退屈派に別れ、ユーザーレビューはさらに物議を巻き起こす作品に間違いない。「デス・ストランディング」にとっては小さな一歩だが小島秀夫大にとっては大きな一歩になるのか。スタンリー・キューブリックが後世に遺した革命的な創造物に「デス・ストランディング」という“モノリス”に触れどんな体験を遺してくれるのか非常に楽しみだ。