四街道

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ジョーカー

 現代の社会問題を詰め込み何が一番の問題かを提示する。深い人間洞察はドキュメントにも感じるほど確かで今の時代性に完璧な映画。悲惨な描写から怒涛の展開の緩急の巧さ、コメディを撮れる監督はシリアスも巧い。

悲しくても突然笑いだしてしまう障害の男を役を演じたホアキン・フェニックスの演技が化物すぎる。「障害が原因で笑う」「空気を読んで笑う」「面白くて笑う」の笑い方の分け方が上手くて観てて度肝を抜かれた。

やっぱり比べてしまうのが『ダークナイト』でジョーカー役を演じたヒース・レジャー。ヒースが演じるジョーカーは相手をからかい狂乱状態を楽しむジョーカーの完成形に感じるけど彼の素性は明かされないし志向や行動が理解できないから感情移入はしない。ホアキン演じるジョーカーは素性が明かされ彼の生い立ち、暮らし、病気、に同情せざる得ない「社会的弱者」が描かれる。本来は「悪役」の狂気的で狂った悪のジョーカーに感情移入する。不思議と人を殺めたことさえも仕方ないと思えてしまう。

障害が原因で証券マンに電車内で絡まれ発砲する場面は他の映画だったら銃を取り出し証券マンを脅してから殺害したりとか展開がありそうだけどいきなり発砲する。いき場のない怒りが爆発した瞬間で突発的な行動は現実的でほんの一瞬で人一人の命が奪われる実際の発砲事件のような生々しさで銃社会の恐ろしさを感じる場面でした。彼が犯した罪は彼自身の責任になるのが社会だけど、彼をここまで狂わせたのは彼自身なのか彼を作り出してしまった他の何かなのか。

生中継での司会者殺害は爽快でジョーカーと一緒に狂気のボーダーを超えてしまう。

ジョーカーの魂の叫びは正論を超えた心理に思えてしまう。社会に馴染もうとする彼の姿を観ているから軽薄な説教や綺麗ごとを並べる司会者は正論だけど偽善にもみえ鬱病の人間に「がんばれ」、正論というなの言葉の暴力を浴びせる。綺麗ごとばかり並べて弱者の味方の振りをする搾取する側の司会者の射殺に私は拍手を送ってしまった。

社会に合わせようとした悲劇の過去と決別し、自分の意志で人生を歩みだす喜劇を歩みだしたジョーカーは爽快感すら感じる。人は心の底から笑うことで救われることがある、笑うことすら出来ない極限の極致にいたジョーカーは最後に心の底から笑えるようになっていたように感じる。全部ジョーカーの妄想だった?どこが本当で嘘なのか解釈は観客に全部委ねられているのも面白い。